覚え書き 8

8.悪役の美学

「わたくし、引き際は美しくありたいと思いましたの」


「なぜ黙って家を出たのか」というコースフェルト侯爵の質問への、令嬢の答えである。

「引き際とは?一体お前はなにを言っているのだ?」

「悪役の美学ですわ、お父さま。立つ鳥跡を濁さず、去る時はみっともないところを見せてはなりませんわ」


コースフェルト侯爵令嬢が日本のことわざを使ってきたよ、この場にマールバッハ男爵令嬢がいなくてよかったね。

俺はさりげなく周りを見渡すと、隣国から留学してきている王子が、そっと目を伏せた。


もしかして隣国の王子も転生者なの⁉︎




「姉上!」


一人の男子生徒が教室に飛び込んできた。そして生徒に混じって中にいるコースフェルト侯爵を見て固まった。


「ち、父上

「なんだディートリッヒ、行儀が悪いぞ」


じろりとコースフェルト侯爵に睨まれ、ディートリッヒ・フォン・コースフェルト侯爵子息は頭を下げた。

「失礼しました。先ほど姉のカテリーナがこの教室に入ったと聞きましたので、つい気がはやりました」


この侯爵家、案外仲がいいな。ゲームではどうだったんだろう。


「姉上、一緒に屋敷に帰りましょう。母上が心配で夜も眠れていないようなのです」


とても勘当するような親とは思えない。


「ディートリッヒ、お誘いは嬉しいのだけれど、わたくしはもう侯爵家に貢献することはできなくなったのよ」

「だからって家を出なくても

「侯爵家のお荷物になるつもりはないわ。

お父さま、コースフェルト侯爵家はディートリッヒがいれば安泰です。ですがわたくしという汚点がいては、侯爵家の未来に黒い影を落とすことになるやもしれません」

コースフェルト侯爵令嬢が、父を正面からまっすぐに見つめる。

「そんなこと姉上が気にしなくても

「いいえ、なにかあれば侯爵領にまで累が及びます。わたくしは領民を巻き込むわけには参りません」


おおーっと教室中にどよめきが起こった。ちょっと大袈裟な気もするけど、貴族令嬢の鏡のような答えだと思う。


なんかこれ、王太子とマールバッハ男爵令嬢が相対的に株を下げてない?

バカ王子が気付いているか疑問だけどね。


「そのようなわけで、わたくしは今後屋敷に戻るつもりはありません。お母さまにもそのようにお伝えくださいませ」


パチパチと拍手が聞こえてきた。

王太子が居心地悪そうにしているのが見える。


「そこまで言うのなら何も言うまい。好きにするといいだろう。だが、これだけは忘れるな。私たちコースフェルト侯爵家の人間は、これからもお前の家族だ」

「ありがとうございます、お父さま」


コースフェルト侯爵の言葉に周囲からすすり泣く声がきこえる。感極まった女子生徒たちが泣いているって、隣国の王子も涙を堪えてるよ!


「では、我々はこれで失礼する。邪魔したな」


そう言うとコースフェルト侯爵は、名残惜しそうな息子を連れて教室を出た。

入れ替わるように担任教師が入ってくる。


「も、もう入ってもいいかな?」


先生、挙動不審になってますよ?


教室の中を整えている間に、テオドールに連れられてマールバッハ男爵令嬢が戻ってきた。口の端にケーキがついてるよ

「侯爵様、もう帰っちゃったんですか?」

と残念そうに王太子に尋ねている。


コースフェルト侯爵様は攻略対象じゃないでしょ。

俺は王太子に口元を拭ってもらっているマールバッハ男爵令嬢を生温かい目で見ていた。

覚え書き 7

7.お父様が乗り込んできました

今日も王太子とマールバッハ男爵令嬢は、人目もはばからずいちゃついてる。今からそんなにいちゃいちゃしてたら、結婚する頃には飽きるぞ。


どうせまるで庶民のようなマールバッハ男爵令嬢が珍しくて、付き合ってる部分もあるんだろうと、俺は分析している。


いつ飽きるかな〜と、机に頬杖をついてバカップルを眺めていると、この場において違和感しかない人物が教室に入ってきた。かなりのイケおじである。 


「カテリーナ・フォン・コースフェルトはどこだ」

その人物は開口一番そう言って教室の中を見回した。


もしかしてコースフェルト侯爵だろうか?


クラスのみんなもそう思ったらしく、お互い顔を見合わせてから一人が代表して答えた。


「コースフェルト侯爵令嬢はまだおいでになっていないようです」

「そうか、ならここで待たせてもらおうか」


そう言うと、コースフェルト侯爵(推定)は手近な席に腰掛けた。


なんで父親が教室で娘を待つの?


「おい、もうすぐ授業が始まるんじゃないか?」

「だからって侯爵に出てけって言えるのか?」

「じゃあどうするんだよ」

気になるんならお前が言えよ」


おい、お前ら侯爵にまる聞こえだからな。

俺は窓の外を見やった。昨日言ったことが本当なら、コースフェルト侯爵令嬢はそろそろ姿を現すはずだ。

「でも、まさかな」

まさか今日もワイバーンに乗ってきて、窓から教室に入るなんてことないよな?


「皆さんご機嫌よう」


やっぱり窓から来ちゃうの?開校以来初めてなんじゃないの?っていうかそんな令嬢いるはずないからね。


「あら、お父さまこんなところでどうかなさったのですか?」


コースフェルト侯爵令嬢が小首を傾げた。


「お前!一昨日は帰ってくるなり、婚約破棄されたから出ていきますと言って、止める間もなく家を飛び出したではないか!」


コースフェルト侯爵が勢いよく立ち上がり、椅子が吹っ飛ばされた音が教室に響き渡る。壊れたら弁償してもらえるのかな?


そんな俺の心配なんかお構いなしにコースフェルト侯爵は、今度は机を弾き飛ばした。人間台風ですか?


「だってお父さま、婚約破棄された悪役令嬢は勘当されるのが定番ですもの」


やっぱりかーーー!


予想通りのコースフェルト侯爵令嬢も転生者でしたってパターンだよ!

もうこうなったら何人この世界に日本人が転生してるか、探してみたらいいんじゃないだろか?


いや、俺は探さないよ?そんな怖いことしたくない。


右手で額を押さえて、コースフェルト侯爵は大きなため息をついた。


「カテリーナ、まだ王室から正式に婚約破棄の通達は届いてはいない。それに婚約破棄されたからと言って、勘当などするはずがないだろう」


「そんな、まだなのか?」


あ、バカ王子。今そこを突っ込んじゃダメだよ。


ほう、王太子殿下も同じクラスでしたか。失礼ながら我が娘のどこがお気に召しませんでしたかな?」


「ぜ、全部だ。お前は娘にどんな教育をしたんだ!こんな底意地の悪い女、見たことないぞ!」


あ、それ言っちゃダメ。それは王子の主観だから。

なんとかして止めたいんだけど、王太子とコースフェルト侯爵の会話?の中に飛び込むのは無理。


俺が悶々としていると、王太子とコースフェルト侯爵の会話に割り込んできた無鉄砲がいた。


「お許しください侯爵様。あたしがフリッツ様を好きになってしまったのがいけないんです!」


いや、なに割り込んじゃってんの。


いくら庶民の出でも色々とやらかしすぎだろ、マールバッハ男爵令嬢は。


呆れ顔でマールバッハ男爵令嬢を眺めていると、バカ王子と目があった。


「なんだお前。なにか言いたいことがあるのか」

「イイエナンニモアリマセン」


マールバッハ男爵令嬢が馴れ馴れしいとか思っても言いませんよ?


「君は名前は何という?」

「ヴェルナー・フォン・ファーレンハイトと申します、コースフェルト侯爵様」

「そなたが。そうか、娘から話しは聞いている」

「とんだお耳汚しを」

コースフェルト侯爵に向かって左手を右胸に当ててお辞儀をすると、またしてもマールバッハ男爵令嬢が話しに入ってきた。


「ヴェルナー様はいつもフリッツ様を助けてくれてるんですよ」

「君は?」


とうとうコースフェルト侯爵が直に尋ねてきた。


「ヴィルマ・フォン・マールバッハと言います。コースフェルト侯爵様」


マールバッハ男爵令嬢が両手でスカートをつまんで挨拶をした。

マールバッハ男爵令嬢は嬉しそうだけど、コースフェルト侯爵は眉間にシワが寄ってるよ。


「君はずいぶん個性的だが、ご両親の教育の賜物なのかな」

「はい、両親は自分を偽ることなく生きなさいと、いつも教えてくれています」


うん、コースフェルト侯爵はそういうことを言ってるんじゃないと思うよ?

こりゃあ侯爵家と男爵家の話し合いになるな。


「そうか。一度君のご両親と話をしてみたいものだ。」


マールバッハ男爵夫妻、ご愁傷様です。


「さて、私は家を黙って飛び出した娘に話しがあるのだが、君たちは暫く黙っていてはくれないか?恐縮ですが殿下にもお願い致します」


「むう」とか言いながら、王太子は渋々うなずいた。

さて、王太子殿下がご了承なされたということは、このクラスの全員が話しかけちゃダメなんだけど


「ウチの両親はいつでも大丈夫ですよ」


こらーーー!


「悪いが男爵令嬢、その話しは君のご両親とさせていただくよ」

「いえ、ちゃんと両親に伝えないといけませんから」


そこは「わかりました」でいいんだよ。なんで食い下がるんだよ!


君は王太子殿下のおっしゃることに従えないのかね?」

「え?フリッツ様が?」

マールバッハ男爵令嬢が王太子を見ると、彼はうなずいた。

「ヴィルマ、暫くルパートと一緒にサロンに行っててくれないか?今日はリリエンブルクのケーキが入っているそうだよ」

「わぁ、あのお店のチョコレートケーキ、美味しいんですよね」


胸の前で両手を合わせて幸せそうな笑みを浮かべるマールバッハ男爵令嬢の気が変わらないうちにと、ルパート・フォン・シルバーベルヒ侯爵子息がさりげなく連れ出した。


王太子殿下、あの令嬢を婚約者にと望むのであれば、貴族社会の礼儀をしっかり教えてくださいますよう。あれでは門閥貴族には受け入れられませんぞ」

「貴族は関係ないだろう」

「関係ございます。我が娘が気に入らぬと仰るなら、婚約を白紙に戻されるのもいいでしょう。しかし、あの令嬢はあのままではいけません。殿下が責任を持って、しっかり教育していただきたい」


王太子は黙り込んだ。頭ごなしにマールバッハ男爵令嬢を否定されたわけじゃないから、反発もできない。


コースフェルト侯爵はここでやっと娘に向き合うことができた。

覚え書き 6

6.「待て」ができる賢い子です

校長先生との話が終わったというコースフェルト侯爵令嬢に付き添って教室に戻る途中、思い切って俺はコースフェルト侯爵令嬢に尋ねてみた。

「コースフェルト姫君は、校長先生に退学届を出したのですか」

「ええ。でもまだ受理できないと仰って、今のところ校長先生預かりになっていますわ。わたくしとしては早く受理して欲しいのですが」


残念そうに頬に手を当ててため息をつくコースフェルト侯爵令嬢。

そりゃあ保留になりますって。


教室に着くと中は静まり返っていた。

中に入るとクラスの全員が窓の反対側に固まってうずくまっている。

窓の外にはワイバーンが「待て」をしている。

「あっ、ごめんなさい。すっかりお待たせしてしまいましたわね。今すぐにどきますわ」

そう言うとコースフェルト侯爵令嬢はワイバーンに飛び乗った。


「それではまた明日会いましょう。皆さん、ご機嫌よう」

満面の笑みで、コースフェルト侯爵令嬢はワイバーンの背中の上から、クラスメイトに手を振りながら遠ざかっていった。


明日も来るのか

もしかしてまたワイバーンに乗ってくるのだろうか?竜に乗って登下校する貴族令嬢なんて斬新な。


「おい、コースフェルト侯爵令嬢は一体どうしてワイバーンに乗ってきたんだ⁉︎

「いや、退学届って学校辞めるのか?」

「お前知らないのか?コースフェルト侯爵令嬢は昨日王太子殿下に婚約を破棄されただろう?」

「ちょっと、皆さんうるさいですわよ」

「そうですわ。カテリーナ様は心にとても深い傷を負ってしまわれたのに」

「侯爵令嬢は帰ったんだから聞こえないんだし、いいじゃないか」

コースフェルト侯爵令嬢が去った後の教室はちょっとしたお祭り騒ぎだった。


みんな娯楽に飢えてたんだな。あんまり褒められたことじゃないけど、前世でも「人の不幸は蜜の味」っていう言葉があったくらいにはそういう話を人は好むものらしい。


俺は目立たないようにそっと腰を下ろした。しかしクラスメイトはそれを許してくれるはずもなく、俺の席は人だかりに埋もれた。

「なあ、さっきコースフェルト侯爵令嬢と何か話したか?」

「婚約破棄って本当ですの?」

「マールバッハ男爵令嬢って片っ端から男子に声をかけてるそうだけど、ファーレンハイト様も?」

「え、本当か?そういう令嬢は遠慮するよ」


みんな好き勝手言っている中で、気になる発言を聞いた。


「マールバッハ男爵令嬢って魅了魔法を使えるそうよ」

「え?それってどういうこと」

俺が尋ねると、周囲のクラスメイトが全員彼女の方を見た。


「えっとごめんなさい、なんでもないの」


注目が集まると、その女生徒はそう言って教室を出ていった。


「無理強いはよくないし、そっとしておこう」


とだけいうと俺は窓際に移動した。

その後なんとなく俺を中心とした集まりは解散して、授業が始まったのは午後になってからだった。



翌朝、予告通りコースフェルト侯爵令嬢はワイバーンの背に乗って登校してきた。

べ、別に当たったからって嬉しくなんかないやい。

覚え書き 5

5.ワイ、ワイバーン。今窓の外にいるの

ワイバーンは驚くほどのスピードで、学校に迫ってきていた。

俺が現実逃避している間に、避難する機会を失ってしまったようだ。


みんな、すまない。俺が不甲斐ないばっかりに


阿鼻叫喚と化す教室の中で、俺は床に膝と両手をついた。

後悔の涙が溢れ始めたとき、頭の上から声が聞こえてきた。


「皆さん、お騒がせしてごめんなさい。退学届を出したら、すぐに帰りますから」


それはコースフェルト侯爵令嬢の声だった。


え?なんでコースフェルト侯爵令嬢の声が聞こえるの?空耳?それとも俺の頭がおかしくなった?


目の前にワイバーンの顔があったらどうしよう、と思いながら俺は恐る恐る顔を上げた。


窓の外には信じられない光景が広がっていた。なんと、ワイバーンの頭の上にコースフェルト侯爵令嬢が立っている。どうして?


「わたくし、この度王太子殿下から婚約を破棄されましたので、旅に出ようと思います。このまま学校に残って、好奇の目に晒されるのは耐えられません。それに婚約破棄された令嬢など、もう結婚は無理でしょうから。

だから家を出て自由気ままに生きていきたいと思います」


いや、ちょっと待って。まだ婚約破棄は決まってないし、国王陛下は全くその気はありませんよ?

なのになんでそう一人で先走っちゃうの?


そんな俺の気持ちにはお構いなく、コースフェルト侯爵令嬢はワイバーンの頭から教室に飛び降りると、そのまま教室から出て行こうとした。


「コースフェルト侯爵令嬢どちらへ!」

慌てて俺が呼び止めると、コースフェルト侯爵令嬢は振り返った。

「校長室ですわ。退学届を出してご挨拶するんですの」

「なっーー」


俺は絶句した。校長室には今まさにあのバカ王子がいる。

神様は俺の味方じゃなかったのか⁉︎


「どうかなさいまして?」

俺の挙動不審な行動に疑問を感じたコースフェルト侯爵令嬢がこてん、と首を傾げた。その仕草が意外にも可愛くて俺の心臓が跳ね上がる。


ギャップ萌えかよ、ちくしょう。


右手で左胸を押さえながら、俺はコースフェルト侯爵令嬢に提案した。

「それでは私がお供いたしましょう。侯爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者たるあなた様が、学校内とはいえお一人で行動されるのはよろしくないかと思われますので」


「でもわたくしは王太子殿下から婚約破棄を言い渡されたのですよ」

必要ないですわ〜と言い放つコースフェルト侯爵令嬢に、俺は首を横に振ってみせた。

「それは王太子殿下の個人的な意見です。対外的にはまだあなた様は王太子殿下の婚約者でいらっしゃいます」


俺の説明にコースフェルト侯爵令嬢は苦笑してうなずいた。

「そうでしたわね。それでは校長室までご一緒願いますわ」

「喜んで承ります」


そうして俺はコースフェルト侯爵令嬢の手を取り教室を後にした。


これで王太子との鉢合わせに対処できるーー!

俺は心の中でホッと胸を撫で下ろした。



校長室の前に立ち、ドアを3回ノックする。

「誰かね?」

「カテリーナ・フォン・コースフェルトでございます、校長先生」

「なんだと?なぜ貴様がここにいる」


聴き慣れたバカ声が部屋の中から響いてきた。


王太子殿下、女性を貴様などと仰るものではありません」


校長先生からたしなめられた。ざまぁ。


「カテリーナ・フォン・コースフェルト侯爵令嬢、どのような用事ですか」

「はい、校長先生にお話ししたいことがございます」

「そうですか。フリードリヒ王太子殿下、お時間をいただきありがとうございました」

「わかった」


一言だけ答える声が聞こえてからドアノブを回す音がして、中から王太子の顔が現れた。


「お前は」

「コースフェルト侯爵令嬢に付き添ってきました」

「一体お前は誰の部下なのだ?」

「昨日も申し上げましたとおり、我が主は国王陛下ございます」


俺の返しに王太子殿下の顔色が変わった。

「貴様、いつかクビにしてやる」

「ご存分に」

王太子殿下」


俺の返事と校長先生のたしなめる声が重なった。

王太子殿下は舌打ちをするとお供を引き連れて大股で歩き去っていった。


「大丈夫なのですか」

心配そうに尋ねるコースフェルト侯爵令嬢に「いつものことですから」と笑顔で返した。


「失礼します」

コースフェルト侯爵令嬢が校長室に入っていった。俺は扉の横で待つことにした。

聞き耳を立てる趣味はないので、暇を持て余し気味に辺りをゆっくり見回す。

一応危険はないようだ。そういえばワイバーン騒ぎはどうなっただろうか。今になって気になってきた。


あのバカ王子、バカ騒ぎしてるんじゃなかろうか。


そう思った後で気がついた。今、盛大にフラグ立てちゃったよ。


「おいーーー!なんで教室の窓の外にワイバーンがいるんだーーー!」


遠くから怒鳴り声が近づいてきた。


王太子殿下、フラグ回収ありがとうございます。そんなに急いで回収しなくてもよかったんですよ?


そんな俺の気持ちをよそに、王太子殿下は勢いよく校長室の扉を開けた。


「おい、聞けばあのワイバーンには貴様が乗っていたそうではないか!一体どういうことだ?それにヴィルマはどこへやった」


「あー、あの(残念)男爵令嬢なら、金魚のふ王太子殿下の御学友に安全なところまでお連れしていただきましたよ」

……お前、今金魚の何と言いかけた?」

「え?そんなこと言いましたか?」


しらばっくれといた。しまったしまった、心の声が漏れ出たようだ。


「とにかく、マールバッハ男爵令嬢は避難されましたので、ご安心を」

「安全は確認していないのか?」

「おや、御学友を信頼なさっていないのですか?」


そこまで責任持てるか!あとは金魚のフンに聞いておけ!


とは言わず、俺はにっこりと笑っておいた。

「チッ!」

王太子は腹立たしげに舌打ちをすると、マールバッハ男爵令嬢と御学友という名の金魚のフンを探しに、廊下を駆けていった。


……はぁ。色々問題のある方ですが、いくらかはあなたの発言のせいですよ」

校長先生にため息混じりに注意されてしまった。心外な。俺は忠実に職務を全うしているだけなのに。

覚え書き 4

4.見てはいけないものを見てしまった

翌日、コースフェルト侯爵令嬢は学校を休んでいた。王太子とマールバッハ男爵令嬢はいつもどおりバカップルだし、王太子の子分もといマールバッハ男爵令嬢の下僕は相変わらず金魚のフンだ。

この中に混じるのは嫌すぎる。


なるべく表情筋を動かさないように気を使いながら、俺は王太子たちの後ろにいた。あまり王太子と目が合いたくないという気持ちもある。


昨日は結局国王からのおとがめもなく、婚約破棄についても前向きに考えてくれると仰ったらしい。ホントかな〜。まあ、生き餌にするとは仰ってたけど。


そんなわけで、王太子とマールバッハ男爵令嬢はいつもに増していちゃついている。


みんなの目の毒だからやめてあげて。


するとそんな俺の心の声を神様が聞き届けてくれたのか、王太子が校長室に呼び出された。


「すぐに帰ってくるからな」

マールバッハ男爵令嬢の額にキスを落として、王子は教室を出た。


しかしその後に事件は教室で起こった。いや、校長室で起こっても分からないんだけどね。


その事件とは、あろうことかマールバッハ男爵令嬢が、宰相の息子に声をかけたのだ。

この二人、前から隠れて会っていたのは知っていたが、こんな人前で


「いいのですかヴィルマ嬢。ここでは人目につきますよ?」

「大丈夫よ。いくらでもごまかしは効くもの。ね?」


そう言いながら、マールバッハ男爵令嬢は俺にウインクをしてきた。

なんだと⁉︎同時に二人か?


俺が慄いていると、マールバッハ男爵令嬢は俺にあっかんべをしてきた。


「そんなわけないでしょ、バーカ」


ちくしょう、なんかムカつく。俺は無表情を崩さないように気をつけながら窓の外を見た。

青い空を大きな鳥が飛んでいる。いいよなあ、お前は。こんなくだらないことに囚われずに、大空を自由に飛び回れて。


あれ?よく見ると魔物じゃね?よくRPGとかに出てくるワイバーンに似てる気がするぞ。

俺は目を凝らして空をみた。するとその様子を不審に思ったクラスメイトが窓の外を見る。そして叫んだ。


「ワ、ワイバーンだあっ」


そして盛大に尻餅をついた。

あれ?ワイバーンがこっちを見たぞ?こんな離れたところにある学校で尻餅をついた音って聞こえるわけないよね?


しかし俺の希望的観測はものの見事に撃ち破られた。確かにワイバーンはあの尻餅の音を聞いたのだ。(いや、叫び声か?)


どうやら俺たちは、ワイバーンにロックオンされてしまったみたいだ。


「きゃあああ。こんなイベント、ゲームにはなかったわよぉ」


マールバッハ男爵令嬢が両手で頬を押さえて悲鳴を上げた。あ、そんな。叫んじゃったら死亡フラグが立っちゃうよ。


俺は焦りながらも呆然と窓の外を見る金魚のフンどもに、金魚本体を避難させるように指示を出した。


さて、これからどうしよう。


いくら騎士団長の息子とはいえ、まだ騎士学校に入学もしていない。いや、例え騎士だったとしてもあんなの一人で討伐できるはずがない。


俺は神話の英雄ジークフリートじゃないんだぞ。


しかしそんなことはお構いなしにワイバーンはこの学校に真っ直ぐに向かってきている。

さらに、クラスの全員が俺を見ている。


やめろ。そんな目で見るな。まだ本格的な訓練も受けてないのに、あんな化け物と戦えるか!せめてゴブリンを相手にさせてくれ。それならなんとか勝てる。奴も相手に不足はないと喜んでくれるだろう。


しまった、思わず現実逃避をしてしまった。俺は慌てて周囲を見回す。せめてみんなをここから避難させよう。


そう思って窓の外を見た俺は愕然とした。


間に合わない気がする

覚え書き 3

3.国王陛下にご報告

以上が本日起こった事柄です」

報告を終えると俺はため息を吐いた。


「予の前でため息とは、ずいぶん砕けているものよな」


わかっているだろうに陛下はニヤリとするでもなくそう仰った。


「申し訳ございません」


「うん?そなたもアレについては色々ため込んでいるのだろう」


真顔ですが仰る内容がニヤニヤされてます、陛下!


「まあ、アレはもう暫く泳がせておけ。他にも何か釣れるだろうからな」


あのー、カジキマグロでも狙っておいでですか?

やっぱり大物は黒カジキですよね!って、ちがーうっ。


つい前世で夢中だった釣りゲームを思い出しちゃったよ。国王陛下もお人が悪い。

っていうか、あの男爵令嬢あのままですか?あれじゃあ他の貴族に対してしめしがつきませんよ?


「かの男爵令嬢はそのままでかまわんぞ。隙だらけの方がいい餌になるだろうからな」


表情に出てました?

しかし、釣り餌ねぇ。男爵とはいえ、貴族令嬢を餌扱いですか。さすが国王陛下はスケールが違う。


「かしこまりました」

敬礼をすると退出の許可が出たのでそのまま国王陛下の前を辞した。

王宮のエントランスに向かって歩いていると、正面からさっきまで見ていたバカ面がやってきた。さすがに腕に男爵令嬢はぶら下げていないようだけど。


「父上に告げ口か」


悪いことをした小学生みたいなこと言うなよ


「私の仕事ですから」


それだけを告げると、俺は軽く頭を下げて再び歩きだした。


「父上の腰巾着が」


なにやら悪態が聞こえたが、無視無視。王太子とはいえ、王宮の人事には口出しはできない。やりたきゃ国王陛下を安心させて早く隠居させな。無理だと思うけど。


せめて並の王子なら、もうちょっと人事にも口出しできただろうけど、いかんせん信用がなさすぎる。あの王子が「こいつをクビにしろ」とわめいたところで「あー、はいはい」っていって右から左に受け流されるのがオチだ。


俺は口元に皮肉な笑みを浮かべて王宮を後にした。


「父上、お呼びでしょうか」


「公の場でそう呼ぶなといつも申しておるはずだが」


国王が仏頂面で告げると、王太子は心底分からないというふうに首を横に振った。


「なにを仰います、父上は父上ではありませんか」


国王は場所をわきまえろといったつもりだったが、王太子には通じなかったようだ。


国王は鼻の付け根を揉むと、王子に尋ねた。

「本日、そなたは侯爵令嬢との婚約を破棄すると宣言したそうだな」

「それは騎士団長の息子が言ったのですか」

「違うと申すか?」

「いえ、間違いございません」

ファーレンハイト伯爵子息だけでなく、他からも同じ報告が上がっておる。そなたはなぜ婚約を破棄したいと申すか」

「それはあの者が未来の王妃に相応しくないと判断したからです」

「では問うが、そなたはどのような令嬢が王妃になるに値すると思うか」


王子は暫く考え込む仕草をすると、朗々と話し始めた。


「まずたおやかで折れそうな儚げな雰囲気。はにかむような笑顔も愛らしく、上目遣いに見上げる瞳は潤んで


「誰のことを言っておるのだ。それは見た目の話であろう。内面はどうなのだ」

国王が王子の言を遮ると、不満げな顔でうなずいた。

「見た目は大事でしょう?内面はいつも俺を立ててくれますよ。人を疑うことをしない、優しい性格です」


国王は首を傾げた。先ほどファーレンハイト伯爵子息から男爵令嬢が侯爵令嬢に冤罪をかけたとの報告が上がっていたからだ。


「先ほどの婚約破棄の騒動は男爵令嬢の訴えが原因と聞いたが」


「それは本当のことだからです。ヴィルマが俺に嘘をつくはずがありません」


終わった。この国終わった


そう呟くと国王は右手で痛そうに頭を押さえながら、左手を犬でも追い払うように振った。


「そなたの言い分はわかった。婚約破棄の件はこちらでも検討しよう。下がってよいぞ」

「はい、失礼します」


挨拶もそこそこに退出する息子の背中を見送って、国王は盛大にため息を吐いた。


「そろそろ潮時かもしれんな」

覚え書き 2

2.俺と男爵令嬢の共通点?

ヴィルマ・フォン・マールバッハ男爵令嬢は、俺たちが王立学園の二年生になった春から編入してきた。

どうやらマールバッハ男爵家に雇われていたメイドがお手付きになり、産まれた娘がヴィルマ・フォン・マールバッハ男爵令嬢で、母親の元メイドが亡くなり、彼女の遺品から自分がマールバッハ男爵の娘であることを知ったらしい。

母親の葬式もそこそこに、男爵家に転がり込んだという話だった。

これは王国の暗部から聞いた話だ。


もちろんこの話に俺との共通点はない。俺は歴としたファーレンハイト家の嫡男だ。家格こそ伯爵だが、代々騎士団長を勤める由緒ある家柄だ。


話が逸れた。

つまり、生まれや家柄、当主の嗜好まで何一つ共通点はないと言いたいわけだ。


そんな俺たちの共通点、おそらくそれは異世界からの転生者ということだ。

根拠はさっきの騒ぎの最中にマールバッハ男爵令嬢が呟いた「悪役令嬢」という言葉だ。

もちろんこの世界にそんな単語は存在しない。それは俺と多分男爵令嬢の共通の前世にあった言葉だ。しかもそれはとあるゲームに存在した。

乙女ゲームという主に女性が好んで遊んでいたゲームの中に。


なぜ俺がそのゲームを知っているかというと、別に前世が女だったわけではなく、妹がとある乙女ゲームにハマって俺に色々勝手に語っていたからだ。


そのせいで俺は男でありながら、かなり乙女ゲームに詳しくなってしまったのである。


乙女ゲームでは主人公の少女とその恋人候補の攻略対象者。そしてその恋の障害となる人物や事象がある。悪役令嬢とは当然恋の障害である。この障害にめげずに健気に愛を育めたら攻略対象者が断罪して排除してくれるというわけだ。


マールバッハ男爵令嬢がこの断罪を実現しようとしたのは明らかである。しかし、好感度が足りていないのか、断罪の条件を満たしていなかったらしく、(俺の活躍もあって)悪役令嬢?の排除に失敗してしまったようだ。


俺、男爵令嬢に恨まれたんじゃないだろうか


しかしこの国を内部崩壊させるわけにもいかないし、どうしても断罪したいならちゃんとした証拠を提示してくれ。


だいたいあんなふわっとした訴えを真に受けるなよ、ダメ王子。

そう、全てはあの王子がバカなことが原因だ。


いやいや、現実逃避はやめよう。確かに王子はバカだが、そこにつけ込んでないことないこと吹き込んだ男爵令嬢が諸悪の根源だ。あんな虫も殺さないような顔をしてえげつないことするなあ。

俺は顔を上げて前を行くバカップルを眺めた。


奴らは腕を組んでいちゃつきながら歩いている。


「もう、フリッツ様ったら」

うふふと笑いながら王太子殿下を愛称で呼ぶヴィルマ・フォン・マールバッハ男爵令嬢。大勢のいる場所で愛称呼びはダメだってば。

自分がこの聴衆を集めさせたことも忘れて鬱陶しそうに睨んでいるけど、ちょっと態度を改めてもらえませんかねぇ?フリードリヒ王子?



「行ってしまわれたわ。断罪は終わったわけではないでしょうね」

そう呟いてコースフェルト侯爵令嬢はため息を吐いた。

「まあ、時期的には早すぎるとは思ったのですが」

侯爵令嬢がふと顔を上げると腕を組んで歩く王太子とマールバッハ男爵令嬢が王太子の側近たちを引き連れていく背中が見えた。


そのうちの一人が振り向いてコースフェルト侯爵令嬢と目が合った。


……


彼、︎ヴェルナー・フォン・ファーレンハイトはなんとも言えない表情で首を横に振った。


それは呆れたような仕草に見えた。


もしかして、ファーレンハイト騎士団長子息も、わたくしと同じ


まさかと否定の意を込めて、コースフェルト侯爵令嬢は首を横に振った。


マールバッハ男爵令嬢と自分だけでなく、騎士団長子息までも転生者なんて、どんな冗談なのか。

ため息を吐くと、コースフェルト侯爵令嬢は王太子たちの一団に背を向けてその場を立ち去った。