覚え書き 15
15.お茶会に招かれました
ところどころに立っている近衛騎士に目で挨拶しながら、長い廊下を進んでいく。やがて色とりどりの花が咲き乱れた中庭に辿り着いた。
「今日は外でお茶をいただこうと思ってね。気に入ってくれれば嬉しいよ」
「とても素敵なお庭ですわ。わたくしが入ってもよろしいのでしょうか?」
「遠慮なく入っていいよ」
第二王子殿下が優しい笑みを浮かべて、コースフェルト侯爵令嬢を席に案内する。
二人が席に着くと、侍女が紅茶を差し出した。
「君の好物が分からなかったから、女の子が好きそうなお菓子を用意させたよ」
「ありがとうございます。どれもとても美味しそうですわ」
後ろに控えている俺からは見えないが、女の子好みの甘味がずらっと並べられていることだろう。
第二王子殿下の指示で、コースフェルト侯爵令嬢の前に次々とお菓子が並べられていく。
「目移りしてしまいますわね」
「全部食べてもいいんだよ?」
「えっ…?」
さすがにそれは多すぎるだろう。ぽっちゃり令嬢にしたいとかなのかな?
「嬉しいですわ。では遠慮なくいただきます」
え?食べちゃうの?体重云々の前に、お腹壊しちゃうよ?
そんな俺の心配をよそに、コースフェルト侯爵令嬢はにこにこ笑顔の第二王子殿下の目の前で、王室御用達かもしれないお菓子を口に運んだ。
「美味しい?」
「とっても美味しいですわ」
声が幸せそうだ。
政略結婚だからといって、相手とコミュニケーションをとらなくていいわけではない、とエルヴィン殿下は考えているようだ。
お茶会が終わり、コースフェルト侯爵令嬢を見送りながら第二王子殿下が呟いた。
「頬についたクリームを掬い取って舐めてあげたかったなぁ」
それ、作法が完璧な侯爵令嬢じゃ無理でしょう。
「あ、でもそれはマールバッハ男爵令嬢の得意技か」
「技って…」
「技でしょう。マールバッハ男爵令嬢の場合、全てが計算ずくに見えるんだよ」
「それはわかるかもしれません」
声になってたのか。失敗、失敗。
「噂話など殿方がなさるものではありませんわよ?」
唐突に後ろから声が聞こえてきた。
え?こんなところで女性の声?
「母上。このような場所で一体どうされたのですか?」
「ご挨拶ね。可愛い息子の顔を見にきただけなのに」
「母上が今さら私の顔をわざわざ見に来るわけないでしょう?本当は?」
「未来の義理の娘を見にきたのよ。悪いかしら?」
「最初からそう仰ってくださればよかったのに」
「だって、それじゃあ許可が下りないじゃない」
実の息子に会うのにも許可がいるのか。側妃やるのも大変だな。
「なに同情する目で見ているんだい?」
「なにをおっしゃいます。羨望の眼差しで眺めておりました」
「ふん、ああ言えばこう言う」
聞こえてますよ、心の声。
「未熟者でごめんなさいねぇ」
「いえ、とんでもない」
「二人とも何気に非道くありませんか?」
否定して欲しかったのか。
「あら、貴方の精進が足りないのに?」
「……」
容赦がない。エルヴィン殿下はぐうの音も出ないみたいだ。
「はぁ、もういいです。母上、私の婚約者とはいずれ場を設けますので、今日のところは帰っていただけませんか?」
「まあ、貴方の婚約者に会わせてくれるの?嬉しいわ」
第三王妃様が胸の前で両手を合わせる。本当に嬉しそうだな。
「それじゃ、これで失礼するわ。約束忘れちゃダメよ」
ウインクをして去っていく第三王妃様の後ろ姿を眺めつつ、俺は呟いた。
「色々と自由な御母堂ですね」
「あの性格が国王陛下に好まれてるからな。ずっと直さないでここまできたんだよ」
第二王子殿下が遠い目をしている。
「しかも正妃陛下にも好ましく思われている」
「それは…あるかもしれませんね」
俺も遠い目をして答えた。
第二王妃は訳あって子を残せません。
そして正妃以外の敬称に悩んでいます(うーむ)
覚え書き 14
14.花嫁修行
「いやー、助けてフリッツ様ぁ」
とある昼下がり、奇声を上げながら廊下を走ってくるマールバッハ男爵令嬢を見た。
「マールバッハ男爵令嬢、なんですかはしたない」
ロッテンマイヤーさんみたいな人がマールバッハ男爵令嬢の背中に声を投げつける。
ぴたりと立ち止まると、マールバッハ男爵令嬢は勢いよく振り返った。
「だって、さっきから礼儀作法とか世界史とか、花嫁修行じゃないのばっかりなんだもんっ!」
スカートの両脇でこぶしを握り、肩をいからせてマールバッハ男爵令嬢が叫んだ。
「はしたないですわよ、マールバッハ男爵令嬢。普通の貴族令嬢が身につけている礼儀作法も全くできないのだから、仕方がないでしょう」
やっぱりそういうことか。頭の中に綿菓子でも詰まってそうだからな、あの令嬢。
「でもっ、花嫁修行ってお料理とかお裁縫とか習うもんじゃないの?」
「料理はコックが作りますし、裁縫は侍女の仕事です」
毅然とした態度でロッテンマイヤーさん(仮)がマールバッハ男爵令嬢に答えた。
うん、その通りだね。マールバッハ男爵令嬢はいつまでも前世を引っ張りすぎだと思う。
王族の一員になるのだから、日本で言うなら皇族のように、外交をやらなくちゃいけなくなる。礼儀作法も世界史も必要だね。
マールバッハ男爵令嬢は、両頬をぷくーっと膨らませた。フグだと思えば可愛いかも知れない。
「マールバッハ男爵令嬢にロッテンマイヤー伯爵夫人。このような場所でどうしたのかな?」
第二王子がこちらに歩み寄りながら声をかけてきた。
「これはこれはエルヴィン殿下。お見苦しいところをお見せしました」
本当にロッテンマイヤーさんもとい夫人だったのか。
カーテシーをするロッテンマイヤー伯爵夫人に応じる第二王子殿下。そこにマールバッハ男爵令嬢が食いついてきた。
「エル様お久しぶりです。こんなところで会うなんて、運命を感じますわ」
覚えたばかりなのか、ぎこちない動きのカーテシーだな。
「運命と言うならヴェルナーの方じゃないかな?私は彼がここにいるから来たのだけど」
「え?そうなんですか」
素っ頓狂な声をあげるマールバッハ男爵令嬢を、じっと見つめるロッテンマイヤー伯爵夫人が怖い。
めちゃくちゃ怒ってますね?
「マールバッハ男爵令嬢、あなたは王族の方と相対するには、まだまだ勉強が足りません。部屋に戻りなさい」
「ひどい、なにそれ?」
「酷いのはあなたの立ち居振る舞いでしょう。いい加減に自分の行いを省みなさい」
反省とか、マールバッハ男爵令嬢には無理だよ。
「確かにカテリーナと比べると無作法なようだね?」
「ひどい〜エル様まで〜」
「そこだよ。舌足らずで甘えた言い方。カテリーナでなくても比べるまでもない」
「そ、そんな…」
「兄上はそこにころっと参ったかもしれないけど、私は御免だよ。とんでもない失態をやらかしたら、私にまで責が及ぶからね。現に今兄上は、マールバッハ男爵令嬢のやらかした失態の責任を取らされている」
「そうなんですか?」
「あれから兄上に会えてないはずだよ」
「そういえば…」
「兄上も再教育を受けていてね。それはもう一挙手一投足、全てに於いて徹底的に」
マールバッハ男爵令嬢が俯いた。
「再教育を受けた兄上の目が覚めて、君との婚約を解消したいなんて言い出したらどうする?」
マールバッハ男爵令嬢の顔から血の気が引いた。
「そ、そんな…あたし…」
「君みたいな子は、下級貴族か庶民と結婚する方が幸せになれるかもね」
「あたしっ…勉強します!」
冗談じゃない、とマールバッハ男爵令嬢の瞳は言っていた。乙女ゲームの世界に来て、同じくらいの身分の男性と結婚なんて、死ぬほど嫌だろうな。
でも残念ながら、俺も第二王子殿下と同じ意見だ。
その後マールバッハ男爵令嬢は、ロッテンマイヤー伯爵夫人に連れられて、大人しく部屋に戻った。
「さて、邪魔者はいなくなったね」
「はっきり言いますね」
「あんなのに好感を持つのは、珍獣愛好家ぐらいなものだよ」
吹きそうになった。エルヴィン殿下は唐突に俺に試練を課す。
「では意外と珍獣愛好家は多いということですね」
「そうなのか?」
「フリードリヒ殿下の側近候補はほとんどですね」
「君も側近候補だったね」
「…一緒にしないでください」
ため息混じりでそう返すと、第二王子殿下は実に嬉しそうに笑った。
「君とは女性の好みが合いそうだね」
第二王子殿下の視線の先には、少しはにかんだような笑みを浮かべた、コースフェルト侯爵令嬢が立っていた。
いや、爆弾投下しないでください。
「いや、横恋慕はしませんから」
「そう?」
つまらなさそうな顔をしないでください。
コースフェルト侯爵令嬢は、優雅にスカートをつまんでお辞儀をした。
こういう所作は、一朝一夕ではどうにもならない。
「お出迎えありがとうございます。お待たせしてしまったでしょうか、エルヴィン殿下」
「私もたった今着いたばかりだよ。それじゃ、行こうか」
第二王子殿下のエスコートで歩きだした二人の後ろをついていく。
幸せそうなコースフェルト侯爵令嬢の横顔を眺めながら、俺は安堵の息をついた。
覚え書き 13
13.第二王子ってどんな人?
あれから数日。なぜか俺はコースフェルト侯爵から呼び出されていた。
いったいなんの話しなのか戦々恐々としながら、出された紅茶に形だけ口をつけていると、客室の扉が開く音がした。
「待たせて済まないね。ヴェルナー君」
随分フレンドリーだな、侯爵様。
俺は紅茶の入ったカップを置き、立ち上がった。
「ご無沙汰しております、侯爵様。その後コースフェルト侯爵令嬢はいかがお過ごしでしょうか」
「うむ、まあ座りたまえ。娘はつつがなく暮らしている。呼んでこさせようか?」
「いえ、お構いなく」
べつに会いたいわけではないです。
婚約者のいる令嬢に会いにきたとか思われたくないし。っていうか呼び出されたんだし。
俺は再びソファに腰掛けた。
「冗談はさておき」
冗談だったのかよ!
「君はもう第二王子殿下とは顔を合わせているな。そこで聞きたいことがあるのだが…」
なんだろう?
「君から見て、第二王子殿下はどのような方に見えるだろうか」
うーん、どのような方だろうね?
俺が顎に手を添えて考え込んでいると、コースフェルト侯爵が言葉を変えて尋ねてきた。
「あの元王太子と比べて、王位を継ぐにふさわしいと思うか?」
あー、なるほど。そういうことね。
「私個人の意見でよろしいでしょうか?」
「もちろん、構わない」
「では申し上げます。私は第二王子殿下の方がふさわしいと思います」
バカ王子と比べるとなんて、失礼な気がするけどな。
「君ならそういうと思ったよ。ではファーレンハイト家は第二王子殿下派だね」
え?ちょっと待って?
「あの、すいません、侯爵様。私は国王陛下直々に、第二王子殿下の護衛を仰せつかっておりますので、家はまた別ではないかと」
「おや、君の親御さんはあの第一王子殿下を推すのかね?」
意地が悪いな!
「そう仰られると否定してしまいそうになるのですが、まだ両親の意向を確認しておりませんので、この場でのご返答は差し控えさせていただきます」
「なるほどね。上手いこと逃げるね」
侯爵様がニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。
なんだか胃が痛くなってきた。
「私のような若輩者が家の将来を決めるわけには参りませんので」
領民も一蓮托生だからまだ俺には荷が重すぎるって。
「その気持ちはわからんでもないな」
わかってくれたようで何より。
「だが君は第二王子殿下につくのだろう?」
「そうですね。国王陛下の命令ですから」
「国王陛下の命令がなかったら?」
「お答え致しかねます」
「なかなか堕ちないね〜」
コースフェルト侯爵が実に楽しそうに攻めてくる。
お願いだからやめてあげて!
俺のライフはゼロ……じゃないか。
とにかくトドメを刺される前に逃げたい。
逃げるための口実を必死に探していると、コースフェルト侯爵が人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「おや、紅茶が冷めたようだね。新しいのを煎れさせるよ」
「いえ、お構いなく」
「遠慮しなくてもいいのに」
いや、延長戦はご辞退申し上げます。
「猫舌ですのでこれぐらいがちょうどいいんです」
紅茶を飲み干し、カップをソーサーの上に置く。陶器の触れ合う高い音が、小さく鳴った。
「では、本日はこれで失礼させていただいてよろしいでしょうか」
「そうだね。このままじゃ進展はないだろうし、また日を改めて尋ねるとするよ」
俺にじゃなくて父上に尋ねてほしい。
とりあえず俺は今日のところは家に帰っていいことになった。
帰ったらどっちの王子派に入るか聞いておかないと。
帰りの馬車の中で俺は大きなため息をついた。
覚え書き 12
12.とうやら2ndシーズンに突入したらしい
「これからどうぞよろしくお願いします」
右手を左胸に当てて頭を下げると、エルヴィン殿下は微笑んでうなずいた。
「色々大変だろうけど、よろしくね」
エルヴィン様の隣には、少し困ったような笑みを浮かべたコースフェルト公爵令嬢の姿が。うん、気持ちはわかる。
「まあ、王様に命じられたからって、すぐに乗り換えるのね。ふしだらだわ」
マールバッハ男爵令嬢が王太子もとい第一王子にしなだれかかりながら、こちらをうかがっている。
お前がいうな。っていうかふしだらなんて言葉知ってたんだな。
「いやあ、君には負けるよ」
「えっ?」
「エルヴィン、お前…」
怒気をはらんだフリードリヒ殿下の声に臆することもなく、エルヴィン殿下は尋ねた。
「彼女がかの有名なご令嬢だよね。兄上も奇特な方だなあ」
「なんだと?」
「なぜこのご令嬢が有名なんだと思う?」
「なんでだ」
「わからない?」
「わからないから聞いている」
エルヴィン殿下は肩をすくめた。わかってないのは当人たちだけってことか。
「兄上はもっと周囲の言葉に耳を貸すべきだよ。そうすれば僕が言った意味もわかってくる」
そういうとエルヴィン殿下は、コースフェルト侯爵令嬢の肩に手を添えて校長室を出ていった。俺も一礼して校長室を後にする。
後ろから「いったいなんだっていうんだ」とか、ぶつぶつ言ってる元王太子の声が聞こえてきた。
「エルヴィン殿下は婚約者がわたくしでよろしかったのですか?」
「逆に君以外になかなかいないと思うよ」
ずっと門閥貴族の中でもまれてきたからこそだよね。王太子の婚約者ってことで、厳しい教育も受けてきただろうし。
俺が一人でうんうんうなずいていると、
エルヴィン殿下がこちらを向いてニヤリと笑った。
「ほら、ここにも賛同者がいるよ」
……うわあ、びっくりした!
「ねえ、ファーレンハイト、君もこの婚約に賛成だよね」
「もちろんです。エルヴィン殿下」
「ふふ、ありがとう。兄上よりも?なんて意地悪な質問はしないでおくよ」
なかなか手強そうだな。
でもあのバカ王子よりは万倍マシだ。いや、比べるのも失礼な気がする。
「それじゃあ今日のところはこれで帰るよ。二人とも、また明日ね」
「あ、玄関までお送りします」
「大丈夫だよ。そこに護衛がいるから。明日からは頼んだよ」
そう言ったエルヴィン殿下の視線の先には、学園の制服を着たおっさんが柱の向こうからこちらをそっと覗いていた。
あれじゃあ国王陛下が俺に護衛を命じたくもなるよな。
苦笑しながら俺は右手を左胸に当てて頭を下げた。
「明日からよろしくお願いします」
教室に戻ると、俺とコースフェルト侯爵令嬢はクラスメイトに取り囲まれた。
教壇では数学の先生ががっくりとうなだれている。
このところこのクラスは学級崩壊してるからな。なんかごめんなさい。
コースフェルト侯爵令嬢は困ったように苦笑しながらも次々くる質問に答えようとしていた。
曰く、婚約破棄はどうなったのか?
曰く、学校はまだ通えるのか?
曰く、王太子が教室に戻ってこないんだけど?
…おい、三つ目の質問!
それは論外だとして、ほかの二つも答えられないよ?
「ごめんなさい、わたくしの口からは申し上げられませんわ」
定型句の返しになるのは致し方ないだろう。
その返事をきっかけに、クラスメイトたちは一人、また一人と席に戻っていった。
放課後、俺はコースフェルト侯爵令嬢と教室に残っていた。
「もう侯爵家に戻られた方がよろしいのではないでしょうか?」
「そうでしょうか?」
「再び王子殿下と婚約されるのですから、家を出られる理由がございません」
「それもそうね」
コースフェルト侯爵令嬢は小首を傾げると、窓をよじ登った。
「ではひとまず侯爵家に行きますわね。ご機嫌よう」
目の前を影が横切ると、コースフェルト侯爵令嬢は窓から飛び出して、見事にその背に乗った。
ひらひらと右手を振る侯爵令嬢を乗せて、ワイバーンは空を切って去っていった。
一つため息をつくと、俺も屋敷に帰るために教室を出た。
覚え書き 11
11.悪役令嬢の処遇が決まりました
翌日、校長室に呼び出しがあった。王太子とマールバッハ男爵令嬢、コースフェルト侯爵令嬢も呼び出されたらしい。
なんでこの面々と一緒に俺が呼ばれるの?
ため息を一つつくと、俺は校長室のドアをノックした。
「入りなさい」
「失礼します」
ドアを開けると、そこには校長と国王陛下、王太子とマールバッハ男爵令嬢、コースフェルト侯爵令嬢、そしてもう一人。…誰?
「はじめまして、エルヴィンといいます」
…ちょっと待って?第二王子殿下じゃないか!なぜこんなところにいるの⁉︎
呆然としてエルヴィン・ヨーゼフ殿下を眺める俺に校長先生が告げた。
「エルヴィン・ヨーゼフ殿下は先日留学先からお戻りになられ、このたび当学園に編入されることになりました」
「よろしく、ファーレンハイト伯ヴェルナー君」
「よ、よろしくお願いします。エルヴィン・ヨーゼフ殿下」
俺は差し出されたエルヴィン・ヨーゼフ殿下の右手を握った。
「で、父上はともかく、なぜエルヴィまで呼び出したのだ?」
「予が連れてきたのだ。編入手続きのためにな」
「そういうことです。これからよろしく、兄上」
「フリッツ様の弟なんですか?ステキ!よろしくエル様」
あいたたた。またやらかしちゃったよ。なんなの?この令嬢。
「そなたは?発言を許した覚えはないが」
「あ、すいませんでした。あたしはヴィルマ・フォン・マールバッハです。よろしくお願いします」
「マールバッハ男爵令嬢か、そうか」
意味ありげに国王陛下がうなずいた。知ってるね、これ。
「フリードリヒ、これがそなたの申す王太子妃にふさわしい者か」
「そうです」
「そうは見えぬがな」
「え?それどういう…」
「そなたの発言は許してはおらぬ」
「!!」
マールバッハ男爵令嬢がびっくりしたように肩を跳ね上げる。
さて、どうなるのかな。
「フリードリヒ、もう少しどうにかならぬのか」
「ち、父上!」
「このままではこの令嬢がそなたの隣に立つことはないと思え」
王太子ががっくりと肩を落とした。
国王が思ったより、マールバッハ男爵令嬢は酷かったらしい。俺はちらっとコースフェルト侯爵令嬢を見た。
「そなたもコースフェルト侯爵令嬢の方が、相応しいと思うだろう?」
しまった、見られたか。
「王太子妃としては、コースフェルト侯爵令嬢は完璧かと思われます」
「この王子には、マールバッハ男爵令嬢でいいと申すのだな」
「え?え…と…」
下手に答えられない。もたもたしていると、国王陛下が笑い声をあげた。
「よい、案ずるな。実は公式にはまだ発表されてはいないのだが、このところの王太子の言動があまりにも目に余ると、門閥貴族たちから意見が上がっておってな。第二王子を呼び戻し、改めて予の跡継ぎを決めようと思うのだ」
それで関係者が呼ばれたのか!って、俺は関係者じゃないし!
「そこでコースフェルト侯爵令嬢は、第二王子の婚約者とする」
え?なんかとんでもないこと仰ったよ、国王陛下。コースフェルト侯爵令嬢も目をまん丸にしてるし。
「そんな…」
「そなたは黙っていろ!父上、なぜ今になってそのようなことを仰るのですか!」
さすがにマールバッハ男爵令嬢の発言を止めたか、バカ王子。
「そなたが貴族諸侯の信用をなくしたからだ。このままそなたが王に即位すれば、この国は分裂し、最悪の場合は消滅するであろう」
そこで第二王子というライバルを出してきて、目を覚まさせようという魂胆か。
もし失敗しても第二王子を次期王に据えればいいと。
さすが一国の王。俺は一人納得してうなずいた。
「そしてヴェルナー・フォン・ファーレンハイト、そなたは改めてエルヴィン付きに任命する」
え?ここで俺の配置換えの発表をするの?バカ王子から離れられるのは嬉しいけど。
「父上、なぜヴェルナーを弟にくれてやるのですか!」
俺は物じゃないし。だいたい王子は俺のこと嫌っていたんじゃないの?
「異なことを申す。そなたはヴェルナーを辞めさせたがっていたではないか」
「そ、それは…」
「願いが叶ってよかったではないか。のう、ヴェルナー」
いきなり俺に振らないでくれませんか?
「私は国王陛下の命を全うするのみでございます」
俺は右手を左胸に当てて頭を下げた。
顔を上げるとき、第一王子を見るフリをしてマールバッハ男爵令嬢の表情を伺ったが、わりと平然としていた。俺の配置換えはゲームのシナリオにあったのかな?
覚え書き 10
10.お説教
朝から見たくないものを見てしまった。
悪役令嬢の断罪イベントから一週間。なぜか断罪イベント前と同じ日々が続いている。
王太子はマールバッハ男爵令嬢といちゃいちゃしてるし、コースフェルト侯爵令嬢はまだ学校に通っている。
王太子の目を盗んで、マールバッハ男爵令嬢は王太子のご学友にアプローチしてるし、俺にも近づいてくる。仕方ないから「あ、殿下」なんて言って、マールバッハ男爵令嬢がうろたえた隙に、脱兎のごとく逃げているけど。
そして今日に至るのだが、なんとマールバッハ男爵令嬢は宰相の息子を侍らせて、隠しキャラの魔術の先生と談笑していたのだ。
俺は回れ右をしてマールバッハ男爵令嬢から遠ざかった。関わりたくない。
しかし俺は気付いてなかった。マールバッハ男爵令嬢が俺の後ろ姿を見つめていたことに。
「どうしてかしら」
突然放課後にマールバッハ男爵令嬢に問い詰められた。
「え、なにが?」
「とぼけないで!あたしを避けてるでしょう?」
マールバッハ男爵令嬢がだんっと俺の机を叩く。もう言っちゃってもいいかな?
「マールバッハ男爵令嬢、あなたは誰と付き合っているのですか」
「フリッツ様だけど。それとヴェルナー君があたしを避けるのと、なんの関係があるのよ?」
「それ、本気で仰ってます?そもそも貴族社会では、結婚前の男女が親しげに話すのは、よくないとされています。
とくにあなたは王太子殿下の婚約者候補。王太子殿下以外の男性とは、節度ある付き合いを心がけてください」
「な、なによそれ…」
「現にあなたは私が王太子殿下がいらっしゃった素振りを見せると、うろたえるではありませんか。ご自覚はあるのでしょう?」
「そ、それはフリッツ様が焼きもちをやかれるから…」
「そういった状況を作られるのが好ましくないのです」
「な、なによ。ヴェルナー君の意地悪っ」
マールバッハ男爵令嬢が顔を真っ赤にして怒鳴った。トマトみたいだな。
可愛くないトマト色の顔の令嬢に、俺は続けて言った。
「それから王太子殿下以外の男性を、名前や愛称呼びをしてはいけませんよ」
「ヴェルナー君のばかぁー!」
マールバッハ男爵令嬢は両手を握り、捨て台詞を吐いて走り去った。令嬢として失格だよ。
周囲の生徒の注目を浴びるなか、俺は帰り支度を始めた。
その机をまたまただんっと叩く者がいた。顔を上げるとそこには怒り心頭といった感じの王太子殿下の顔があった。
「なぜ俺の可愛いヴィルマが泣いているんだ」
「なぜですか」
思わず質問に質問で返してしまった。なぜなら俺が見たのは真っ赤にゆだった…もとい真っ赤になって怒った、あまり可愛くないマールバッハ男爵令嬢だったからだ。
「ふざけるな!お前が泣かしたんだろう!ヴィルマに謝れ!」
「嫌ですよ」
「なぜだ⁉︎」
「じゃあ聞きますけど、俺とマールバッハ男爵令嬢が親しげに話してる姿をみて、どう思われますか?」
「…いい気はしないな」
むしろ怒るでしょ?
「マールバッハ男爵令嬢は王太子殿下の恋人です。いずれは婚約者になられるでしょう。そのような方が恋人である王太子殿下以外の男性と仲良くしてもいいのですか?」
「それは…」
「嫌でしょう?だから王太子殿下以外の男性と親しげにしてはいけないと申し上げたのです。いけませんか?」
「い、いや…」
「いいですよね?」
「そ、そうだな」
よし、王太子の了解はもらえた。俺は立ち上がると晴れ晴れとした気持ちで言った。
「さあ、帰りましょうか、王太子殿下」
王太子の肩越しに、マールバッハ男爵令嬢の姿が見えた。まさに鬼の形相という言葉がピッタリだね。そんな顔してたら逆ハーレムエンドなんて夢のまた夢だよ。
まあ、どっちにしろ俺は逆ハーレム要員になるつもりはないけどね。
覚え書き 9
9.逆ハーレムエンド狙いらしい
授業はいつも通り滞りなく進み、休み時間のたびにコースフェルト侯爵令嬢は大勢の生徒に囲まれていた。他のクラスからも見に来ているね。
その様子を王太子が不快げに睨みつける。自分が撒いた種でしょ?
昼休みに俺はため息をついて席を立つと、王太子の元に行った。
「殿下、食堂に行きましょうか」
「あ、ああそうだな。行こうか、ヴィルマ」
「そうね。きっと食堂の方が落ち着くわ」
何人かの生徒がマールバッハ男爵令嬢を睨んだが、王太子に睨み返されて視線を外した。
そこ相手を睨むんじゃなくて、マールバッハ男爵令嬢を注意しなくちゃ。
この王子にマールバッハ男爵令嬢を教育とか、無理だな。
諦め気分で俺は天井を見上げた。さあ、昼食にしよう。
一日の授業が終わった頃には、コースフェルト侯爵令嬢の周囲はだいぶ静かになっていた。
「それではみなさんご機嫌よう」
教室にいた生徒に挨拶をすると、コースフェルト侯爵令嬢は窓から出て、ワイバーンに乗ってどこかに飛び去っていった。どこに帰ってるんだろう?
ふと窓の外から視線を戻すと、目の前にマールバッハ男爵令嬢が立っていた。彼女の隣りに王太子の姿はない。
「ヴェルナー君はもう帰るの?」
砕けた口調でマールバッハ男爵令嬢が話しかけてきた。
「ええ、そろそろ帰るつもりですよ」
俺は帰り支度を終えて席を立つと、マールバッハ男爵令嬢が隣にきた。
ぎょっとして隣の令嬢を見ると、彼女は俺の顔を見上げてにっこりと笑った。
「一緒に帰りましょ」
あっ。こら。腕を絡めてきちゃダメだよ。
慌てふためく俺の姿を、マールバッハ男爵令嬢はニコニコ笑って見ている。ダメだ、これは確信犯だ。
俺は強引に腕を抜くと、早足で歩き出した。後ろから「チッ」と舌打ちする音が聞こえてくる。
なんだこの令嬢にあるまじき言動のフルコースは。
「待ってくださーい、ヴェルナーくーん」
俺に追いつこうと、小走りでついてくるマールバッハ男爵令嬢。まだフルコースは続くらしい。
大声で「ヴェルナーくーん」と俺の名前を呼びながら駆けてくるマールバッハ男爵令嬢。このフルコース重い。
仕方なく俺は立ち止まった。するとマールバッハ男爵令嬢は満面の笑みを見せて、俺の制服を掴んだ。
「もう、ヴェルナー君足が速いー」
この頭の軽そうな令嬢に説教した方がいいかな?
俺がマールバッハ男爵令嬢の手を払ったとき、もの凄い形相の王太子と目が合った。
「…なにをしている?ヴェルナー」
…俺かよ!
俺は大きなため息をついた。
「フリッツ様ぁ」
王太子の顔を見たマールバッハ男爵令嬢が、猫撫で声をあげてすり寄った。うん、そうくるだろうとは思ったよ?
「早かったんですね」
王太子の腕に絡みつき、上目遣いに見つめるマールバッハ男爵令嬢。途端にバカ王子の顔になる。チョロいな。
「ヴィルマ、たとえ一瞬でもお前と離れたくはないからな」
あー、はいはい。このまま二人でどこへでも行っちゃってください。俺のことは放っておいていいから。
「ヴェルナー、俺の大事なヴィルマに指一本触れるな」
違うよ、触れたのは王子の大事なヴィルマ・フォン・マールバッハ男爵令嬢の方だから。
俺はため息をついた。
「マールバッハ男爵令嬢がつまづいて転びそうになったので、支えただけですよ」
俺が適当に理由をでっち上げると、マールバッハ男爵令嬢は首を縦に何度も大きく振った。
ドリンキングバードみたいだな。
「…本当なのか?」
「そうなの!ヴェルナー君のおかげで、服が汚れなくて助かっちゃった」
オイラー男爵令嬢が頭をこづきながら舌を出す。
あざとさにげんなりする。
しかもまた俺を君づけで呼ぶし。なにそれ俺を王太子に殺させる気なの?
しかし王太子は、オイラー男爵令嬢が俺を君づけで呼んだことなど気にも留めてないようで、嬉しそうな顔でうなずいた。
「そうか、それならよかった。では行こうか」
王太子は俺をじろりとひと睨みして、オイラー男爵令嬢の肩を抱いて歩いて行った。そんなに自分以外の男に触れられたくないなら、どこかの部屋に入れて鍵でもかけてよ。野放しにされたら怖いから。主に報復的な意味で。
多分オイラー男爵令嬢は、逆ハーレムエンドを狙ってるんだろうな。他の攻略対象は誰だっけ?
宰相の息子のテオドールはもうすぐ落ちそうだし、あとは公爵の息子に、教皇の息子と騎士団長の息子の俺。悪役令嬢の弟と隠しキャラはまずないな。
ま、俺も攻略される気はないけどな。